毒虫に刺された人の会のブログ

虐待で刺された毒から立ち上がる!毎月京都で開催している毒虫に刺された人の会のブログです。

分かりにくかった毒親からの毒

 

家族は、祖父母、父、母、姉、私の六人家族。

それぞれが違う方向を向いていたバラバラな家族でした。


その中で唯一の家族は、私にとり母だけでした。

 

母と祖母が言い争いをし、泣く母。

仕事が休みの日曜には麻雀にあけくれ、家族と関わろうとしない父に涙する母。

私は、母が悲しみ涙する姿を見て育ちました。

 

でも、私も母を泣かせていました。


私が塾をサボったり、門限を破ったり、宿題放置したり、オモチャで散らかすだけちらかして、後片付けしなかったり…無断外泊した時もそう。


普通なら怒る様なことをしても、怒り責めない。

母は叱ることをせず、泣く事で私を責めました。


「なんでそんなことすんの」と私に向かって泣く母。

 

母には笑っていて欲しいのに、泣かすことばかりする私。

母を泣かせ悲しませる罪悪感で、私は幼い時からいっぱいでした。

 

私の中で、母の思う通りでないと、母は悲しみ泣く、という思いが物心ついた時からずっとありました。


母が泣いてしまうかも、母を悲しませてしまうかも…そんな思いが膨らみ、母に言えないことが増えていきました。


母は泣き、私を哀れむことを愛情の証としていた様に思います。

そして、私も「かわいそうに」と哀れみを受ける事が私への愛情で、泣かれて苦しいけれど、母が泣くほどに、愛情が深いんだと、思い込んでいました。

でも、苦しくてたまらなく…

 

歳を重ねるにつれ、母と私の関係は歪みに歪んでいきました。

 

振り返り、母の涙は私への愛情の涙でなく、自分の思い通りにならない自分への哀れみもあったんだと、解毒した今は分かります。

 

私は母の悲しみで、コントロールされていました。


そんな母の歪んだ愛情に苦しみ、ますます反抗的になる私に母は「なんでなん…」と、悲しみ泣くことで、私を責めました。

 

でも母は、はたから見ると子ども思いの優しいお母さんでした。

心配し、悲しみ、哀れむ事を美徳とする思い違いを多くの人が抱きがち。これも今では分かります。


私は幼少期に性虐待を受けていますが、そんな明らかな毒ではなく、分かりづらかった母からの毒。


私を私らしく、母の悲しみを気にせず生きていいんだ、と解毒し思える様になりました。


母から受けた毒の解毒はしたものの、今でも「哀れんでもらいたい」という傾向はあり…

愛情の勘違いを未だしてしまう私がいます。


でも月に一度の毒虫に刺された人の会に参加する事が、前の自分に戻らないための抑制にもなっています。


解毒したから終わりでなくて、戻らないという事の大切さを感じる日々です。


哀れみに流されない様に、耐性をつけるためにも、これからも会に参加し、私を私らしく生きていきます。