親からの放置と否定
毒虫の会に参加している40代のK子です。
私は両親にネグレクト(育児放棄)され育ちました。
姉4人と兄もいて大家族でしたが、家族でのコミュニケーションは少なく、会話をすると否定ばかりの毒家族でした。
例えば、母親に将来の事を相談した時には「無理だ」と否定され続けた結果、第三希望の職種にようやく首を縦に振るという有り様でした。
大人になっても失敗が怖くて行動できなかったり、やり始めても途中で止めることが何度もありました。
自分が行動する前にネガティブなことを考える癖があると分かったのは、ツバキ先生に教えてもらったからです。
毒虫の会で話を聞いてもらったり、参加者の話を聞いて励まされていく途中で、だんだんと気持ちが軽くなっていきました。
「私なんかがやっていいのだろうか」「失敗したらどうしよう」など考えることが少なくなって、ツバキ先生にアドバイス頂いて4年前に始めた仕事は今でも続けられています。
母は10年以上前に亡くなっています。
受けた虐待を思い出して母に嫌悪感を抱く時がありますが、母もまた親から愛情を注いでもらうことなく育ってきたのではないかと思えるようになってきました。
分かりにくかった毒親からの毒
私の母は、心配することを愛情だと思い込んでいた。 怒られる様なことをしても、怒らず「なんでそんなことすんの」と泣く母。幼い時からずっとそう。 母を泣かす罪悪感でいっぱいな中生きてきた。苦しかった。泣く事で母は私を責めた。関係が歪んでいた。#毒親 #毒親育 #虐待 #毒母 #毒虫の会
— 毒虫に刺された人の会 (@dokumusi_64) 2018年11月15日
家族は、祖父母、父、母、姉、私の六人家族。
それぞれが違う方向を向いていたバラバラな家族でした。
その中で唯一の家族は、私にとり母だけでした。
母と祖母が言い争いをし、泣く母。
仕事が休みの日曜には麻雀にあけくれ、家族と関わろうとしない父に涙する母。
私は、母が悲しみ涙する姿を見て育ちました。
でも、私も母を泣かせていました。
私が塾をサボったり、門限を破ったり、宿題放置したり、オモチャで散らかすだけちらかして、後片付けしなかったり…無断外泊した時もそう。
普通なら怒る様なことをしても、怒り責めない。
母は叱ることをせず、泣く事で私を責めました。
「なんでそんなことすんの」と私に向かって泣く母。
母には笑っていて欲しいのに、泣かすことばかりする私。
母を泣かせ悲しませる罪悪感で、私は幼い時からいっぱいでした。
私の中で、母の思う通りでないと、母は悲しみ泣く、という思いが物心ついた時からずっとありました。
母が泣いてしまうかも、母を悲しませてしまうかも…そんな思いが膨らみ、母に言えないことが増えていきました。
母は泣き、私を哀れむことを愛情の証としていた様に思います。
そして、私も「かわいそうに」と哀れみを受ける事が私への愛情で、泣かれて苦しいけれど、母が泣くほどに、愛情が深いんだと、思い込んでいました。
でも、苦しくてたまらなく…
歳を重ねるにつれ、母と私の関係は歪みに歪んでいきました。
振り返り、母の涙は私への愛情の涙でなく、自分の思い通りにならない自分への哀れみもあったんだと、解毒した今は分かります。
私は母の悲しみで、コントロールされていました。
そんな母の歪んだ愛情に苦しみ、ますます反抗的になる私に母は「なんでなん…」と、悲しみ泣くことで、私を責めました。
でも母は、はたから見ると子ども思いの優しいお母さんでした。
心配し、悲しみ、哀れむ事を美徳とする思い違いを多くの人が抱きがち。これも今では分かります。
私は幼少期に性虐待を受けていますが、そんな明らかな毒ではなく、分かりづらかった母からの毒。
私を私らしく、母の悲しみを気にせず生きていいんだ、と解毒し思える様になりました。
母から受けた毒の解毒はしたものの、今でも「哀れんでもらいたい」という傾向はあり…
愛情の勘違いを未だしてしまう私がいます。
でも月に一度の毒虫に刺された人の会に参加する事が、前の自分に戻らないための抑制にもなっています。
解毒したから終わりでなくて、戻らないという事の大切さを感じる日々です。
哀れみに流されない様に、耐性をつけるためにも、これからも会に参加し、私を私らしく生きていきます。
ネガティヴを植え付けられてる
毒親から受けた毒、夫やパートナーから受けた毒…
身体的な虐待や精神的な虐待で受けたダメージを、この会では「毒」と言っています。
毒のパターンも人それぞれ。
この会のメンバーが毎日ツイートしている毒虫アルアル(←個人的にそう呼んでます)を読んでいても、多種多様というか…
それぞれに受けた毒が生きている中、色々なパターンで出ているのが分かります。
でも、共通するのは「ネガティブを植え付けられてる」ということ。
その底には「思う通りにしたい」「支配したい」という欲が渦巻いている様に感じます。
親や夫、パートナーとの間には、愛情は無いのか?と疑うのは辛い事です。
「認めたくない」「知りたくない」という抵抗が私にはありました。
でも、果たして自分が幸せか?という立ち位置で見ると、幸せでない。
支配したいが故の優しさ、恐怖、哀れみを上手く使い分けているのが、ネガティブな毒を植え付ける毒虫。
愛されてない…
事実を頭では分かっていても、私の心が認めるのを抵抗してる。
毒を刺す人の良い面をクローズアップして、でも、けど私の事を思ってくれてる、と言い出したり。
自分自身や、この会を通して心底「認める」という事が簡単でなく、痛さを伴う事を痛感しています。
でも「認める」ことから逃げていたら…
ずっと植え付けられたネガティブに支配されているこにも気付かずに「今は辛いけど、いつか幸せになれる」なんて幻想にしがみついていて占いにハマっていたか…(以前の私です)
ニッチもサッチもいかなくなり、「もう、いいや…」と諦めの人生を歩んでいたか…(これも以前の私)
ネガティブな生き様しか思い浮かばない。
解毒出来たきっかけは、ツバキ先生との出会いでした。
先生が私の中の毒についておっしゃる的確な言葉が、的確過ぎて最初は心が折れました。
でも逃げなかったのは、立ち直って欲しいという先生の本気な気持ちが伝わってきたから。
時間を費やし共に私の毒と向き合ってもらえたから、認められる様になり、解毒も進んでいきました。
今は解毒出来て、植え付けられたネガティブを切り離すと、本当の自分自身が見えてきます。
相手本位でない私自身が見えてくる。
相手の顔色を見なくても大丈夫な私。
人を必要以上に避けなくても大丈夫な私。
そして、解毒する事で過去は過去として今を変えていくしかない、という割り切りが出来る。
一歩を踏み出すまでが長かった私です。
この会が発信する情報や、参加される方の体験談が、毒に苦しむ人の一歩の後押しになればと思います。
まだ人生は長いです!
まずは向き合う一歩から、ですね^ ^
毒虫に刺された人の会は、虐待から逃げる場所ではなくて、解毒して回復し、元気な自分になることを目的としている場所。 毒と向き合うのは怖いけれど、勇気を出しての最初の一歩が大切なんだと、振り返り思います☺️ 一歩を踏み出せ、ホントに良かった!#毒親#毒親育 #毒虫に刺された人の会
— 毒虫に刺された人の会 (@dokumusi_64) 2018年11月8日